1月27日に読む本は「夜と霧」ヴィクトル・フランクル(著), 池田香代子 (翻訳)

第二次世界大戦では、様々な悲劇が起きました。ナチスドイツによるユダヤ人迫害もその一つです。アウシュビッツ(現在はポーランド領にある)は、強制収容所があった場所として有名です。強制収容所には政治犯なども収容されていましたが、90%以上がユダヤ人といわれています。

1945年1月27日は

アウシュビッツ収容所がソ連軍により解放された日

強制収容所の生活を、精神科医の視点で振り返ります。残酷な描写も出てきますが、歴史を知るには大事な一冊です。なお、著者自身は、アウシュビッツに収容された期間は短く、他の収容所に長く収容されていました。

感情を失う

収容所では、労働を課せられ、食事は満足に得られない。働けない者に待つのは死。そういった状況で、被収容者は、感情を失い、とにかくその日を生き延びることだけしか頭にない。著者の経験では、「『2時間前まで話していた仲間が死んで、死体が建物の外に置かれても、何も感じなかった』そして自分自身の非情さに愕然とした」と。

自分が明日も生きられるのか、殺されるのか、分からないような極限状況で、他人を思いやったり等の余裕はとても無いだろうな、と思いました。

感情が消失する。想像を絶する極限状況です。

最後の自由だけは奪えない

強制収容所では、持ち物を奪われ、食事は十分に与えられない。そのような環境においても、どのようにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。

収容所監視者

収容所を監視する兵員。被収容者を痛めつけることに快楽を感じるサディストもいた。もっとも、監視者の多くは、サディズムに加担しなかった。ただ、嗜虐行為が行われるのに、見慣れてしまい、鈍感になっていた。

一部ではあるが、被収容者に便宜を図る者がいた。被収容者に服用させる薬をポケットマネーで購入したものもいた。

全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。

p. 144

本書の前半を読むと、監視者はサディストばかりのような印象がありました。後半まで読み、144ページまで来て、そうではない、と気づかされました。

傍観者的になってしまうのは、仕方がない側面もありそうですね。監視者の身分であっても、他の監視者を批判すれば、自分に火の粉がかかるかもしれないですから。

解放の反動

強制収容所から解放された後のお話。筆者は他の元被収容者とともに歩いていた。麦畑にさしかかったとき、麦をよけて歩こうとした筆者。別の元被収容者は、よけずに麦を踏みつぶして歩いた。筆者が指摘すると、その者は「俺たちはひどい仕打ちをうけたんだ、麦の穂ぐらいかまわないだろう」と。

不正を働く権利のある者などいない、たとえ不正を働かれた者であっても例外ではないのだというあたりまえの常識に、こうした人間を立ち戻らせるには時間がかかる。

153ページ

元被収容者の振る舞い、心情的には分かる気がする。

でも、麦の穂を踏めば、「負」が連鎖してしまう。筆者は、そういう事態にならないよう、このエピソードを書いたのでしょう。この本の重みを感じさせますね。

「負」の連鎖をしない

「被収容者が解放後に反動で善くないことをしてしまうこと」には、すごく同情しましたし、そうしたくなるのが人間の性なのかもしれません。

この本の最後「収容所から解放されて」でこのエピソードが語られます。このエピソードを載せなくて、強制収容所からの解放、で本を終わりにすることもできたでしょう。けれども筆者は被収容者の良くない一面を書いた。私の心に強く刻まれました。


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