第二次世界大戦中、ナチスドイツは、ユダヤ人を迫害し、強制収容所で強制労働させたり、毒ガスで大量虐殺したりした。
ユダヤ人だったアンネフランクは、フランクフルト(ドイツ)からアムステルダム(オランダ)に逃避していた。誕生日プレゼントに日記帳をもらい、日記を書き始める。日記はキティ(空想の友達)へ向けて書く、という形式。
アンネフランクの13歳の誕生日。アンネが誕生日プレゼントとして日記帳をもらい、日記を書き始めた日。
6月12日は、「日記の日」になっていますが、アンネが日記を書き始めた日、からこの日になっています。
「世界を変えた10冊の本」池上彰でも、アンネの日記が取り上げられています。
隠れ家生活
ナチスドイツにより、ユダヤ人が強制収容所へ連行される危険が差し迫り、アンネの家族(父オットー、母エーディト、姉マルゴー)は、ファン・ダーン一家(父ヘルマン、母ペトロネッラ、息子ペーター)と隠れ家生活に。(のちにアルベルトデュッセルが加わり、八人で暮らすことになる)。
アンネたちは隠れ家生活を強いられましたが、ユダヤ人をかくまってくれる協力者がいたのが救いですね。
人道的視点ではアンネ達のために協力するのは当然と思われますが、「ユダヤ人に協力したら自分も罰せられる」と考えたら、なかなか実行はできないですね。
自分の身にも危険があるにも関わらず、協力してくれた方は素晴らしいですね。
日常を赤裸々に語る
ユダヤ人迫害、という観点でクローズアップされることが多いが、日記として書かれたため、日常生活が赤裸々に語られている。
- 食器のこと、シーツのこと、等、日常生活の中で大ケンカになる話
- 一緒に住むペーターとの甘酸っぱい話。それを父親に話したときの話
- 倉庫(隠れ家の一階)に泥棒が入って、警察が来た話
子供向けの伝記などでは、こういった部分はカットされていることが多いですね。
思春期の子の心情が赤裸々に語られるのは、すごく貴重ですね。
理想を失わない
どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っている
1944年3月7日の日記より。(2003年文芸春秋の増補改訂版のp.363)
たとえいやなことばかりでも、人間の本質はやっぱり善なのだ
1944年7月15日の日記より。(2003年文芸春秋の増補改訂版のp.573)
辛い生活を強いられているアンネの言葉。アンネが私たちに残したものは凄く大きいですね。
日記の終わり
1944年6月に連合軍がノルマンディーに上陸し、解放への期待が高まっていた。しかしナチス親衛隊に連行されてしまう。
辛い隠れ家生活は、解放ではなく、ナチスに連行されて終わります。アンネは「日記を書く」ことすら不可能になりました。キティともお別れです。解放への期待が高まっていただけに、いっそう辛い結末になりました。
迫害されないこと、自由に「日記を書く」こと、当たり前のように思えます。けれども、そうでない世の中があった。
アンネの日記を読んだ私たちは、悲劇を繰り返さない未来を作らなければなりませんね。
500ページを超える本です。ケンカの描写は辛辣だったりしますが、多感な時期の少女が綴った内容は読みごたえあります。
(解放の期待が高まる時期の記述とはいえ)隠れ家生活という不遇な中で、人間は善、と言えるのは凄いですね。
わが身を振り返ってみると、「人間は善」と胸を張っていえるだろうか。自分の今までの生き方を反省し、改善していかなければならないですね。
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