1902年1月23日は
青森第五連隊が、八甲田山に向けて出発した日
日本は、ロシアとの関係が悪くなっていた。ロシアとの戦争に備えて、雪の中を行軍する訓練を行うことになった。青森第五連隊は、冬の八甲田山を行軍するが、道中で迷子となってしまい、多くの将兵が凍え死ぬ結果となった。
- 装備が不十分だった(雪山を軽くみていた)
- 神田大尉がリーダーのはずが、階級が上位である山田少佐が随行したため、指揮系統がおかしくなった
- 山田少佐が住民による道案内を断った
- 軍医が引き返す進言をするも、進軍を続けた
などが失敗の原因とされる。
「いまさら後には引けない」ではなく、中止する勇気も必要だと実感させられました。
一方で、ほぼ同じ時期に雪中行軍した弘前第三十一連隊は、凍傷者はでたものの、全員が生還した。
弘前第三十一連隊をみると、事前の準備がどれほど大事か、が分かります。
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