「オペラ座の怪人」 ガストン・ルルー 平岡敦(訳)の次に読む本

あらすじ

時は1880年。パリのオペラ座には醜い顔を仮面で隠した謎の怪人が住みついていた。怪人は、若手オペラ歌手のクリスティーヌに恋しているが、彼女には既に愛を誓いあった恋人がいた。嫉妬に狂った怪人は、クリスティーヌを誘拐したうえ、無理矢理結婚しようとするが、クリスティーヌは彼の要求を拒否する。挙句の果てに彼女の恋人までも監禁する怪人だったが、それでも彼の想いは報われることなく、最後にはクリスティーヌの慈悲深い心に触れて涙し、彼女の元から去っていくのだった。

何度も舞台化され、映像化されている傑作です。一見するとホラーテイストの作品ですが、実際は、「醜い男の報われない恋」を描いた悲しいラブストーリーです。

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怪人がクリスティーヌに恋をしたのは、単に彼女の容貌が美しかったからだけではないと思いました。怪人には、顔が醜いために誰からも相手にされず、実の母親にさえ疎んじられたという悲しい過去があります。怪人は、クリスティーヌに母親の姿を重ねていたのではないでしょうか。彼女を愛することで「母性を獲得したかった」という隠れた意図があったのではないかと個人的には思いました。

次に読む本

「ノートルダム=ダム・ド・パリ」辻 昶,松下 和則(訳)

時は15世紀のパリ。教会権力による弾圧と排除のために街は荒みきっていた。ある日、美しいジプシー娘のエスメラルダが街へやってくる。彼女に心を奪われた聖職者のフロローは、醜い鐘つきのカジモドを使って彼女を誘拐しようとする。

「レ・ミゼラブル」で知られるヴィクトル・ユーゴーの代表作です。当時のパリの風俗を丁寧に紹介しながら、愛憎渦巻く群像劇を展開していきます。

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この作品で特筆すべきなのは、個々のキャラクターがとても魅力的に描かれていることです。彼らの感情が複雑に絡み合い、やがて悲劇へ向かって集約されていくところは、群像劇の名手たるユーゴーならではの神業だと思いました。そして、それらがまるで一本の映画のようにダイナミックに描かれている点にも驚きました。

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「ノートル=ダム・ド・パリ」のカジモドが心優しき人物として描かれているのに対し、「オペラ座の怪人」のエリックは嫉妬に狂うがゆえに横恋慕する醜い人物として描かれています。エリックは、「ノートル=ダム・ド・パリ」におけるカジモドとフロロー(エスメラルダに歪んだ恋愛感情を抱く聖職者)を合わせた人物と考えればよいでしょう。

つまり、カジモドは「顔は醜いけれども、心の優しい男」。エリックは「顔も心も醜い男」と言うことができます。

二つの作品は、これら容貌の醜い男が「報われない恋」をしてしまうという点で非常に似ています。醜いがゆえに誰にも相手にされない男が一人の美女に恋をするが、その恋は決して報われることはない。何とも悲しい筋書きです。「悲しい恋」を描いた傑作は数あれど、エリックとカジモドほど孤独で悲しい運命を辿ったキャラクターを私は知りません。




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