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ピダハン――「言語本能」を超える文化と世界観/ダニエル・L・エヴェレットの次に読む本は

あらすじ

本書は、ブラジルのアマゾン川沿岸に住む少数民族、ピダハンの独特の世界観、言葉体系を通してわれわれが当然と考えている認知体系に揺さぶりをかけてくる。言語人類学者の著者はピダハンと30年間に渡り生活を共にする中で彼らの文化体系に基づく言語の特徴を把握したのだ。

具体的には、彼らの言語には左右、数詞、色名、受動態、再帰(言葉の入れ子構造)、曽祖父母や従兄弟など遠い血縁関係を表す言葉が存在しない。食品を保存せず、使い捨ての道具しか作らず、遠い将来や昔のことは話さない。

なぜなら彼らは直接的体験と観察を重視した世界観のもとで暮らし、その考え方が彼らの言語体系の根幹となっているいるからだ。だからピダハン社会に伝わる神話にも、現存する目撃者のいない出来事は含まれないのだ。

われわれが認識しないといけないのは、ピダハンは類を見ないほど幸福を感じ充足感のもとで暮らしているということだ。自分たちの生き方こそが最上だと信じており、他の文化を軽視しているのでそれらの影響は受けていないのだ。

そら丸
そら丸

僕らの常識からすると、左右、数詞、色を表す言葉がない中で他者とコミュニケーションしていく社会を想像することはかなり難しいことです。ややもすると、劣った文化だと評価してしまいかねない。本書を読むと根本的に世界の捉え方が異なっており、そこには論理的な理由があることがわかります。例えば進む方向を示すときに「左に曲がる」とは自分の体の位置関係をもとにしている表現です。しかし話し手の体の向きがわからない場合、この表現は機能しないことがわかります。ピダハンは川などの身近な外部環境を基点とした絶対的な方角のみの言語体系でコミュニケーションしているのです。

価値観、ライフスタイル、趣味趣向は人それぞれですが、幸福を感じたいという思いは共通です。抽象概念を多層的に構築し、過去と未来に想いを馳せ、高度なテクノロジーを開発してきた先進国の人々の方が精神的に幸福でないという事実に向き合わないといけないですね。

次に読む本

視点という教養/深井龍之介、野村高文

本書は物理学、文化人類学、仏教学、歴史学、宗教学、教育学、脳科学という7つの分野の専門家をゲストに迎え、リベラルアーツ(教養)から得られる新たな視点をもとにこの時代を捉え直すことを狙いとしている。数十年前までに比べると今は価値観が更に多様化し、一人ひとりがHowよりもWhyやWhatを考えて考え方や生き方を見定めていかないと生きづらい世の中といえる。そこで役に立つのが世の中をあらゆる視点から見ることができるリベラルアーツというわけだ。知識やスキルというより、立ち位置や視点、思考法が大事ということだ。

物理学者の北川氏によれば、数学的な「理解する」とは物の形や数字に対するオペレーションを分類することであるのに対して、物理学的な「理解する」とは予測すること、工学的な「理解する」とは欲しいものを実現することだと言う。

文化人類学などの研究に取り組む飯嶋氏によれば、バリ島で現地の庶民が10円で買えるものを1000円で請求された日本人は「ぼったりくりだ」と感じるのに対して、現地の常識では至極まっとうなことだという。なぜなら現地には古くからカーストがあり、その階層によって同じ物の値段が異なるからだ。

寳幢寺僧院長の松波氏によれば、仏教の修行とは徹底的に自分をメタ化することだと言う。例えば好きな異性に振られてしまった場合、その因果関係に納得できれば自暴自棄にならず次にいける。自分の体験には必ず自分に原因がある。それを自覚できないことが苦しみに結実するというわけだ。

このように具体的事例も交えてわかりやすく対談形式で各学問分野からの新たな視点のエッセンスを感じ取れるのが本書の特徴だ。これらは入り口に過ぎない。人類が数千年かけて蓄積してきた広大な知の体系の中には、自分だけの人生経験では知り得なかった沢山の視点が満ちあふれているのだ。

そら丸
そら丸

多様な価値観を理解することは言うまでも大事ですが、何でもありの世界にはならないように留意したいですね。国ごとの法による正義(時には法の変革も必要ですが)、人としてのモラルは守りつつ、アサーティブなコミュニケーションを通して知見を深めていきたいものです。

おススメポイント

そら丸
そら丸

この2冊には、わたしたちがわかったつもりになっている考え方の「多様性」に対する認識に揺さぶりをかけてくるという共通軸があります。考え方だけでなく、人間関係、勤めている会社、住んでいる場所、お金の使い方、起床時刻と就寝時刻、日々口にしている食べ物、服装、身体の状態など、当たり前となっている事項をすべて疑ってみると、何らかの気付きがあるように思えます。例えば今日口にした食べ物の産地はどこで、いつの時代から食べるようになったのでしょう?

この記事を書いた人

そら丸

そら丸

ユニークな視座、データ分析から発見、感動体験、幻想的な美的体験が脳汁の源です。

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