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『ギフテッド』 著者 藤野恵美のつぎに読む本は

あらすじ

主人公である森川凛子は高学歴であり翻訳家として働いている。主人公の妹は結婚をしていて、子供が三人いる。長女の莉緒は塾に通い中学受験のため日々勉強をしている。長女は論理的であるが同年代の子供とコミュニケーションうまくとれず、塾の環境になじめないでいた。そんなとき妹に頼まれる形で主人公は長女と共に志望校の合格を目指すことになる。妹の夫は医者であり、夫の子供に対する期待と現実のギャップの葛藤が描かれる内容となっている。

読書梟
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本書はいろいろな読み方ができるように感じる。例えば親子関係が何故うまくいかないのかを重点的に見るならば、本書の内容に則せば子供が親に期待しているものは承認であり、親は社会的なステータスであること、この価値観のズレがうまく関係を築けない原因となっているのではないだろうか。親は社会的なステータスが価値だと感じていて子供は必ずしもそうは考えていない。何故社会的なステータスが価値となるのか、子供は本当の意味で親の考えを理解していない。また、それが必ずしも価値となるかは分からない。読み手は全体像が把握できるので、親子関係に悩む当事者は少なからず何らかのヒントを得られると思われる。

次に読む本

『14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に』著者 宮台真司

バブルが崩壊し、「失われた20年」と呼ばれるようになった日本において、経済的な面だけでなく、時代の規範や価値観までもが変容していった様子を、社会学者宮台真司氏が自身のフィールドワークの経験に則しながら描き出し、これからの社会をどう生きるべきか問いただす内容となっている。

読書梟
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宮台氏はグローバル化以前と以後の日本の状況をうまく説明していた。グローバル化以前の日本人は「みんな」という言葉に「日本人」という共通の感覚を持っていた。分譲マンションがまだ少ない時代、都市空間は開放的であり、となりにはどういう人が住んでいるのかが今よりも明確であった。グローバル化以後は人々の出入りが活発になり外国人が増えていくことで「みんな」という言葉がより曖昧になっていったと宮台氏は説明する。この現象はいろいろな方向へと影響を与えることになるが、私は本書でも述べられている「承認」という概念に着目した。昔は「日本人」が「素晴らしい」と思えることを子供たちが目指したり行うことで「承認」を得られたが、今は「みんな」という言葉が必ずしも「日本人」ではなくなったがゆえに「素晴らしい」の定義も変わり、子供たちが「Youtuberになりたい」と言うようになった現代では「承認」が得られにくくなっていることが読み取れた。何が「価値」となるか、ますます多様化、曖昧化しているのが現代だと思われた。

おススメポイント

読書梟
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『ギフテッド』では、長女の親は「良い学校へ行くこと」を「価値」とみなしていた。しかし長女は「良い学校へ行くこと」が何故「価値」となるのか、本当の意味で理解しているとは到底思えなかった。行かないよりはいったほうがいい、という程度の理解であった。『ギフテッド』では、長女の親にエリート主義の傾向が見てとれたが、まだまだ学歴社会の根強い日本、一度失敗してその路線から外されれば親から見切られ、疎遠になっていく可能性も少なくない。親は次女に関しては「諦めている」といった言動がうかがえたが、この視野の狭さは見見過ごすことはできない。「冷めた」この家庭に必要なものは視野の広さではないだろうか。そのために社会学のレンズから社会を俯瞰する力を身に付けるきっかけとなるこの本書を推奨したい。

この記事を書いた人

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読書梟

1991年生まれ。私立大学卒業後、医療法人に勤務。2021年退職。

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