あらすじ
第二次大戦時下の旧ソ連で、故郷を失った少女セラフィマが、復讐のため狙撃手(スナイパー)となって成長していく物語。史実を踏まえた、ドラマティックなストーリー。本屋大賞、ミステリー賞として名高いアガサクリスティー賞を受賞し、今日のウクライナ情勢の背景知識を深める本作。少女は復讐を果たせるのか。
祖国とは、戦争とは、民族とは、セラフィマの瞳に映る敵とは…いくつもの視点が折り重なる、重厚なミステリーで読む手が止まらない。フィクションの層の中の揺るぎないノンフィクションが訴えかけてくる。
真実をしりたい、この女性の行方を。
次に読む本
読書する女たち(ステファニー・スタール)
育児のさなかで、自身の立ち位置に悩む女性ステファニーが、女性としての“生き方”を模索していく物語。母校に戻り、様々な環境で育ってきた女子大生とともに、フェミニズムの名著を紐解いていき、迷い、立ち止まりながら懸命に生きていこうとする。著者の自叙伝。
同性として、同じ立場にいる人間として、胸を締め付けられるような感覚に陥る。だが事実なのだ。女性を取り巻く社会を隠すことなく自身の目を通して描こうとしている。置かれた境遇に、疑問を抱き、決して満足などせず、学び直しを経て、失くしていた(と思っていた)自分を取り戻す。その抗う姿に勇気をもらった。“フェミニズム”という言葉の意味を、初めて理解できた一冊。
“役割”に疲れてしまった人のみならず、すべての世代の女性に読んでほしい。
時代背景は異なるが、両者ともに、「女性の生き方」を描いている。
『同志少女よ、敵を撃て』は戦争という圧倒的な外力に翻弄され、抗う女性の姿を、『読書する女たち』では、現代社会でのジェンダーに迷い、立ち向かっていく女性の姿を。
「女性の味方でいたい」、「女性を守りたい」、という『同志少女よ、敵を撃て』のセラフィマの思いは、半世紀経った『読書する女たち』のステファニーにも通じるところがある。この思いは、いつの時代でも変わらない。
両者の終盤の展開、ラストの描写に、“救い”を感じた。女であるということ、守らなければならないものは何なのか。
魂に問いかける両作品。
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