『2020年6月30日にまたここで会おう 瀧本哲史伝説の東大講義』瀧本哲史の次に読む本

あらすじ

 2019年8月10日に病のため47歳の若さで逝去された、京都大学客員准教授でエンジェル投資家の瀧本哲史氏。「コモディティ人材(替えのきく人材)になるな」という強烈なメッセージから幕が始まる『僕は君たちに武器を配りたい』、残酷な社会で生き抜くために「意思決定」と「交渉」の必然性を説いた『武器としての決断思考』『武器としての交渉思考』。いわゆる「武器三部作」として若者たちから熱く支持され、新しい時代を作る若者たちの力を支援し続けた瀧本氏が、2012年6月30日の東京大学伊藤謝恩ホールにて一日だけの特別講義を行った。参加条件は29歳以下の先着300名。2012年6月30日、東大に集結した次世代の若者300名に伝え残したメッセージが、熱き「檄」の思想が今、一冊の本として復活する。さあ、チャイムは鳴った。さっそく講義を始めよう。

渡邉綿飴

 瀧本哲史氏が亡くなった日のことを未だに覚えている。その日は家で昼食を食べていて、暇つぶしに見たツイッターで彼の訃報を知った。すでに「武器三部作」を持っていた身としては大変悲しく、そして全て未読である自身を恥じて、変な呪いとしてページ開くことできずに、それから1年ほど経った。そして、この本として再び出会い、(そのとき30歳を迎えていたが…)瀧本氏の講義に初参加した。

 本書のコンセプトとして、軽い目論みで足運んだ瀧本氏の京大講義に魅了され、母校である東大に特別講義を依頼した(『僕は君たちに~~』からの)担当編集者の「講義の密度と熱気をそのまま一冊の本に閉じ込めたい」という意向が全て注ぎ込まれた結果、ボイスレコーダー並みに完全再現されている。瀧本氏の熱弁、ジョーク、言い間違いまで余すことなく参加者たちのやり取りが「ライブ盤」として、リアルに感じられる。

 皆さんは仏教の「自燈明」という言葉を知っているでしょうか。開祖のブッダが亡くなるとき、弟子たちに「これから私たちは何を頼って生きていけばいいのでしょうか」と聞かれて、ブッダは「わしが死んだら、自分で考えて自分で決めろ。大事なことはすべて教えた」と答えた。「自ら明かりを燈せ」、つまり他の誰かが点けた明かりに従って進むのではなく、自ら明かりになれ、と突き放したわけです。

 瀧本氏が若者たちに武器を配る理由に、この言葉があると本人は話す。

 かつてアリストテレスは「奴隷とは何か?」という問いに「ものを言う道具」と答えた。また現代社会において、この「ものを言う道具」の人たちが蔓延している。自分の考えで物事を言わず、上層部からの命令範囲でしか動かない、ただ人の形をした人が多すぎる。「コモディティ人材になるな」、この一喝にはそういう背景があるのだ。

 さすがにもう奴隷社会はないが、インテリジェンスな言葉で「計画経済」として今でも実質的に生き残っている。計画経済とは「資本主義の真逆」、つまり「どこかのすごく頭の良い人が全てを決める社会」だ。旧ソ連がそれに当たる。計画経済ではないが、今の日本でも東大・京大出身というだけで、なぜか「未来がわかる」と持ち上げられ、「こりゃ名案だ!」と官公庁や経営コンサルタントなど上層部が何かよくわからない施策・合併案を繰り出して、その結果、大赤字を叩き出して会社など潰してしまう。というより、それほど名案なら自身でやられたらいいのに、責任負いたくない一心で絶対やらない(潰された側にとってたまったもんじゃねえ…)。

 それに対し、資本主義の大前提として「誰が正しいかよくわからない」がある。だから色んな人が自身のアイディアを出して、自己責任でやってみる。そのアイディアを市場が「いいね!」という形で判定すればドカンと儲かるし、違っていたら淘汰されてハイやり直し…という、そういう単純なゲームルールで行われる。

 ちなみに自由主義は「みんなが好きに活動できて、拘束されるのは基本的にお互いが納得して取り決めた契約や義務があるときだけ」という社会、民主主義は「契約や法律のような社会全体のルールを、国民みんなが自分たちで決める」という社会である。

 この資本主義・自由主義・民主主義をきちんと成立させるために共通して必要なのが、「自分で考えて自分で決める」こと。だからこそ「意思決定」「交渉」などの武器が、大人はもちろん次世代を担う若者こそ超重要になる。本書でもダイジェストとして武器が触れられているが、完全な講義として深く学びたい人は「武器三部作」を読むのがオススメだ。

 さて、ここまでの時点で全205ページの25ページ(講義が全2時間だったので、時間で換算すると約15分あたり)。残りの講義を聴きたい方は、ぜひ本書に参加してほしい。

 しかし、ここでひとつ問題なのが、これはあくまで10代・20代を対象にした講義であり、そうでない30歳以上の人はこれからどう行動をしたらいいのか…。講義後の質問タイムで近々30歳を迎えるという参加者からの質問に対し、瀧本氏はこう答えている。

“「基本的に10代、20代に向けてのアドバイスと同じですね。ただ、ちょっとスタートが遅いので大変だから、けっこう頑張ってくださいって感じです。

 一般的にいえば、30ぐらいになったら自分の人生のチップをどのへんに置けばいいかって、見えているはずですよね? もし見えてないとしたらヤバいですよ、ってことですかね。それを先に決めることをおすすめします。40ぐらいになっても人生の無限の可能性とかを追求していたら、かなり痛いやつじゃないですか(笑)。

 逆に、置くべきチップが見えてる人は、「大人」として、自分より若い人たちをバックアップしてあげてください。

 政治にしろビジネスにしろ、革命の裏には大人の支援者がいて、見込みのある若者たちを助けてあげてるんですね。そういった、あるべきエスタブリッシュメント層の人間を目指してみては、いかがでしょうか。」”

※エスタブリッシュメント……社会的に確立した体制・制度。今回の場合は「社会的役割のある層」を指す。また、既存の慣習に基づく社会的・政治的・経済的な諸原則(エスタブリッシュメント)に対して異議を唱える立場を「アンチ・エスタブリッシュメント」という。(一部Wikipediaより参照)

 現在31歳の自分にとっても大変耳の痛い話だが…そこには瀧本氏なりの優しさもあると思う。将棋奨励会の年齢制限が満26歳までのように、ジャニーズJr.の年齢制限が満22歳までのように、人の一生は夢を成すにはあまりにも生命が短すぎる。だから、どこかで強制的に終わらせることもチャンスと同様に必要なのだ…。

 先ほどの回答の中に「革命」というワードが出てきたが、かつて大久保利通が明治維新を成したときの年齢を知っているだろうか。薩摩の長である大久保利通は35歳で、長州の長である木戸孝允は32歳。明治維新の中心人物はほとんど全員、20代後半から30代だったとのこと。260年続いた江戸幕府という中央政府を倒し、欧米の国々に肩並べることを目指して、たった45年の間で近代国家を樹立という、歴史上でも類を見ない思い切った変革というのは、やはり若い人にしか出来ないようだ。そして、江戸幕府の終焉となる「大政奉還」を決断した徳川慶喜の当時の年齢は30歳。

 また、幕府海軍の指揮官として中心に活躍した榎本武揚という人は当時29歳。その彼も戊辰戦争で負けて明治政府に降伏すると、以前の考え方を柔軟に変え、明治政府の中心人物の一人として活躍する。ちなみに榎本武揚について福沢諭吉は『瘠我慢の説』という本の中で「うまく転職して立身出世したズルいやつ、いるよな。あいつだよ、あいつ!」と、かなりディスっている。

 瀧本氏は明治維新に係わったこの若者たちのように、現代の若者たちにもそうなってほしい。改革(アンチ・エスタブリッシュメント)のその願いは「檄」として、彼の原動力となっている。

 講義は終盤となって、瀧本氏は急落した日本から抜けることも一時期検討していたらしいが、現在とりあえず将来の一つの目安に8年後である2020年の日本にチップを張っていると言う。もちろん「復活」に賭けているし、そのように努力するが、もし8年後、この日本がダメだったら脱出ボタン押して「みなさん、さようなら~。これだけ頑張ったのにダメなら、もうしょうがないよね~」と判断して、ニュージーランドの山奥にでも引っ越すかもしれないと宣告した。会場は大爆笑だった。

 アメリカやイギリスもかつて落ちた帝国だったが、今しっかり復活しているので、たぶん日本もその気になったら、たぶん容易に復活し得るかもしれない。ただし、ガバナンス(政府や企業など組織自身が組織を管理すること)とか現時点いろいろ問題があるので、そこは変わらないといけない。そこを変えていくのが、たとえばここにいる参加者の若者たちだと言う。

 そして瀧本氏は参加者への宿題として、8年後の今日、2020年6月30日にまたここに集合することを提案する。各々が自身のアイディアなり何かしら頑張ってみて、8年後のこの東大伊藤謝恩ホールにて「答え合わせ」を報告し合う。もちろん絶対に成功してないといけないわけではなく、会社員でもいいし、失業中でもいいし、作家でもいいし、芸能人でもいいし、専業主婦(主夫)でもいいし、何ならプロ雀士でもいいし、ともかく「この8年間、こんなテーマに取り組んでやってみた結果、ちょっとだけですが世の中を変えることができました」とか、「あの日たまたま隣にいた人とこういうことをやったら、こんなことができました」とか、「失敗続きですが、そのおかげで今はこういったことを考えています」とか、何かしらそういう報告し合えたら絶対面白いに決まっている。

 期待も悲惨もすべて包み込んで、ホールにいる全員が2020年の日本に胸を躍らせていた。だけど、新元号で迎えた現実の2020年の日本は、そして世界は、未曽有の事態に陥ってしまった。新型コロナウィルス、緊急事態宣言、出入国制限、自粛倒産、PCR検査、遺伝子ワクチン、三密(ソーシャルディスタンス)、リモートワーク、東京オリンピック延期、Qアノン、アンティーファ、アメリカ大統領選挙……もしも瀧本氏が存命だったら、この集合も脱出も許されない事実をどう判断したのだろう。あの日の参加者たちは今どうしているのだろう。本書の締めの言葉であり、本書のタイトルにもなっている、この言葉。

「2020年6月30日にまたここで会おう」

 この本と書店で出会ったのが、この日である。

次に読む本

『AIの壁 人間の知性を問いなおす』養老孟司:PHP新書

 戦後日本の歴代ベストセラー4位『バカの壁』の著者で知られる解剖学者、養老孟司。人間の知性について幾度も探求した養老氏が次に目をつけたのが、人工知能(AI)。技術発展により「AIが人間の知能を超える」と言われる昨今、人間にとってAIとは何か。どのように向き合えばいいのか。将来的に医療・司法・経営などのガバナンスにも導入が決まっている現代社会について、AIとゆかりのある4名の有識者:羽生善治(将棋棋士)、井上智洋(経済学者)、岡本裕一朗(哲学者)、新井紀子(AI研究者)とそれぞれ対談し、人間の持つ可能性と待つ未来について語り合う。

渡邉綿飴

「独自の知性を持つコンピューター(AI)が人類に危害を加える可能性がある」と世界で初めて提示したのは、おそらくチェコの劇作家カレル・チャペックが1920年に発表した戯曲『R.U.R.』だと思う(岩波文庫の邦題では『ロボット』で、世界で初めてロボットという言葉を作り出した)。

 そのほかにも、AIと人間の友情や争いを描いた作品は古今東西、世界中に多く、たとえば自分が今思いつく物だけでも、『ターミネーター』、『われはロボット(早川書房)』、『アイ,ロボット(原作は『われはロボット』ではなくオリジナル)』、『ロボコップ』、『2001年宇宙の旅』、『ドラえもん』、『(映画版)のび太の海底鬼岩城、鉄人兵団、ブリキの迷宮』、『ザ・ドラえもんズ ロボット学校七不思議』、『鉄腕アトム』、『ブラック・ジャック(「『Uー18は知っていた』の回)』、『メトロポリス』、『ブレードランナー』、『アップグレード』、『トランセンデンス』、『攻殻機動隊』、『マトリックス』、『A.I.』、『her/世界でひとつの彼女』、『ジェクシー! スマホを変えただけなのに』……と、まあ、ともかくキリがない。

 また、『R.U.R.』でロボットとは反逆者のイメージだったものを、SF作家アイザック・アシモフは『われはロボット』収録作内にて「ロボット工学三原則」という新しい概念を交えた規約を制定した。

◆第一条 ロボットは人間に危害を加えてはいけない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
◆第二条 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が第一条に反する場合は、この限りでない。
◆第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない。

 --2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版より

 当時は物語の世界観を膨らます目的で作られた規約だったが、目まぐるしい科学技術の発展で、21世紀後半には「ロボット工学三原則」に大変近い憲法(ロボット版の人権など見越して)が、もしかしたら発布されるかもしれない。現に、2045年にはAIは人間の脳を超える転換点「シンギュラリティ」を迎えるだろうと予言されている(俗にいう「2045年問題」である)。

 残り24年。干支2周分の間に我々は、AIに対してどのように対策すればいいのか。2045年以降の人類はどのように過ごせばいいのか。そもそもAIとは何なのか。

 養老氏の見解としては「高級な文房具ぐらいに思ってる」と答えている。パソコンが情報処理の道具ならば、広い意味では文房具の一種とも言える。そうなるとAIは、結局はその延長線上にしかすぎないと捉えている。

 そして、仮にAIを道具と考えた場合、パソコンと同様に実際の仕事でどれほど使えるのかがカギとなる。さらに平たく言うと、AIが優れた電卓としたら、電卓は入力された計算式(プログラム)の処理解析が得意であるため、人工的な計算式を基に作られた都会システム(政治、金融、法律、交通など)には人間以上に威力を発揮するが、都会の外にある自然に対してどれほど把握できるのかが、AIにとっての大きな壁だと養老氏は唱える。

 数学者でAI研究者の新井氏も、AIの弱点として似た点を述べている。

“「実は、AIが一番苦手なのが危機管理なんですよ。AIには定常状態しか予測できないんです。だから、ゲリラ豪雨とか地震とか墜落とか、想定外のことは予測できません。なぜかというと、滅多に起こらないことは、統計データにほとんど現れないので学習のしようがないからです。」”

 また、養老氏は人間の意識だけで作った社会を形作って、「ああすればこうなる」という風に、原因と結果を綺麗に揃う思考だけで物事を考えることを「脳化社会」と名付け、この脳化社会を痛烈に批判している。人工的な計算式だけで構成された社会システムにおいて、人間は絶対にコンピューターには勝てないので、「職が奪われる」と嘆いている人類は、ある意味では自業自得に陥っているのかもしれない。

 それこそ将棋や囲碁こそ、計算処理が試される世界である。棋士の羽生氏も棋界におけるシンギュラリティを実感しており、AIが導き出したいくつもの棋譜に驚かされているという。将棋が趣味の人には当たり前の知識だが、将棋には実に多くの戦法が存在している(有名なところだと穴熊とか矢倉とか)。そのなかに「雁木(がんぎ)」と呼ばれる戦法があるのだが、これは江戸時代から伝わる古典的手法で、現代の将棋において誰も見向きもしない…はずだった。

 だが、最新鋭の将棋ソフトが局面でこの雁木戦法を使い、AI自身が再評価したことで話題になって、棋界でちょっとした雁木戦法ブームが起こった。人間にとっては流行り廃りあるものが、AIにとっては古い新しいの概念はなく、ただ手法としての有効性、つまり「評価値」が高いから局地解(その場の解答)で指しただけのシンプルな話なのだが、「先入観がない」、それだけで人間とAIの大きな違いを感じる。しかし、「先入観がない」ということは「感情が伴わない」ということを意味し、一番に危惧されるのは生物が絡んでくる分野、将来的に自然など生物領域がAI的に扱われしまうと養老氏は忠告する。現時点ではAIが不確定要素の多い自然を扱うことは難しいらしい。路上の昆虫ひとつ取っても、分類判定や体長測定の明確な基準点はなく、はっきり言って境界線が曖昧なことが多いため、「人間の知性とは何か?」と聞かれたら、この「曖昧に計測する」が大きいヒントとなる。そして、「わからないことを面白がる」ことも人間だけに与えられた貴重な遺産だ。

 人類で最も古い知性行為と言えば「哲学」である。AIに哲学は可能なのか、哲学者の岡本氏の見解では「学問の系譜を辿って議論するような文脈なら可能かもしれない」と予想している。簡単に言うと、プラトンやニーチェなどが唱えた思想概念を引用・脚注する形で議論すれば、正直「曖昧な勘」で論じていた歴代の哲学者より緻密な分析結果を出せる可能性があるとのこと。ただし、まったくの無から前提を生み出すことは自然と同様にまだまだ難しい。

 倫理の有名な問題に「トロッコ問題」がある。

≪あなたはそのとき、たまたま暴走したトロッコの走る線路の分岐器レバーのすぐ側にいた。線路の先では5人の他人が線路上に縛られていて逃げることはできない。トロッコの進路を切り替えれば5人は助かるが、別の線路には1人の友人が縛られていて逃げれない。あなたは5人を救うために、1人を犠牲にするかしないか。≫

 先に申すと、この問題には明確な解答はなく、倫理学概論にある、友人より効率的な結果を重視する「功利主義」と友人とは助けるべき責任関係が働く「義務論」の対立意見を分かりやすく例題化させた問題なので、性格・年齢・職種などによって解答結果が異なる。

 このトロッコ問題の応用にあるのが、もしあなたがブレーキ壊れていること気づかずに車を運転していて、進行先の横断歩道に5人の老人が渡っていて、急遽左にハンドル切り替えようとしたら道路に1人の子どもが歩いていた。そのような場合、あなたは老人を救うために、子どもを犠牲にするかしないか。

 そして、これがAIによる自動運転の車に乗っていた場合、AIはどのように選択するか。また、この責任は誰にあるのか。ちなみに話の便宜上、システムエラーで自動ブレーキ装置は作動しない。

 現時点での法的・倫理的観点だと、まだ解答は出ていない。何なら道路すべてを高速道路化にして、わざわざ侵入してきた人に責任がある方向にした方がマシではないかという意見があるぐらい、誰も責任を取りたくない状態にある。

 今後、AIに委ねる領域が広がるだろうが、人間だけでなくAIだってミスを起こす。ミスを起こす可能性が低いのは断然AIだけど、いざミスが起こったときのダメージが圧倒的に大きいのもAIである。

 そのとき、人間社会は二つの考え方が求められる。「AIというのは、もうそういうものだと割り切って受け入れるしかない」、もう一つは「AIを絶対的なものとして見ないようにする」。羽生氏は後者が大事になってくると思うと述べている。

 最近でも、2019年に横浜市のモノレールで起こった「金沢シーサイドラインの逆走事故」があった。「AI=全知全能」と捉えた瞬間から、理性中心社会の割り切れない歪みが明確化されていく。

 法律・倫理・自然など曖昧のままだった割り切れない問題を、AIが無理やり計算結果で片付けて、それらをすべてAIが管理するようになったら、それこそAIに乗っ取られたら、序盤に書いたSFの世界になる。娯楽で片付けていた地獄は、暴走したトロッコのように文明進化の線路の先にある。人類は分岐器を目の前に、どのような選択をするのか。議題はかなり山積みのようだ。

 ちなみに人類が人工知能に対抗できる最終手段は、なんと「電源プラグを抜く」こと(古典的っ!)。だけど、その電源もAI自体が管理できるようになったら、本当に人類は滅びるかもしれない。人間でいえば仮死・蘇生を自在に操作できるわけなので、その瞬間からAIは都市社会を牛耳る全知全能の神となる。

 全知全能の神の下で、知性を持つ人間はどのように暮らしていけばいいのだろう。

 養老氏の思う、一つの展望が59ページに語られている。

“「むしろAIが、理性中心社会からの脱却のために、いいターニングポイントを作ってくれればいいんですね。例えば、人間が肉体労働をして田舎で一年の半分を暮らしていても、AIがちゃんと、知的な活動のかなりの部分を代わってやってくれるという。そうすると、非常にバランスのいい社会ができる可能性もありますよね。

 AI化で、野に遊び、田畑を耕しという、人間本来の暮らしに戻れる余白ができる。本来は、それって楽しいことだから。」”

 AIによる、新しい「農業文明の開化」である。

渡邉綿飴

【解説 -- AIと交渉する】

 あと4年で21世紀も4分の1を迎えます。現時点では20世紀の思い描いた空想未来ほどまだ叶えていませんが、確実にAI導入による、また新たな波の働き方改革が起こります。それはある意味では、人間の仕事を奪う危険もあり、実際メガバンクではAIによる金融管理とネットバンキングのおかげで、日本中で支店閉鎖・ATM撤去・銀行員削減が発生しており、「大手銀行に就職できたから生涯安泰!」という安全神話も今や通じない時代です。

 そんな新時代にこれから社会に旅立つ若者、職が危ぶまれる社会人はAIに対して、どのように対策すればいいのか。「AI時代の自燈明」そのヒントとして、この2冊を選ばせていただきました。

 この2冊を読み通して最初に印象的だったのは、≪アリストテレスの「ものを言う道具」≫と≪養老孟司の「高級な文房具」≫の意外な共通認識発言。

 別に養老氏がAIを奴隷扱いしてると言いたいわけではなく、その時代を代表する「知の巨人」が縁もゆかりもなく何十世紀もの跨いで、それぞれが様々な教養を経て、(ただの偶然なんですが…)似たような発言に至ったことを見つけたのは多読の醍醐味です。

 瀧本氏は講義中に「パラダイムシフト」という言葉を出します。パラダイムシフトとは、要は、それまでの常識が大きく覆って、まったく新しい常識に切り替わることです。この言葉が最初に登場したのは、トーマス・クーンという科学史の学者が1962年に出版した『科学革命の構造』です。ガリレイの地動説、ニュートンの力学、ダーウィンの進化論……この大転換とも呼べる科学の大発見は、いかにして学会や社会に受け入れられたのでしょうか。

 当時の上層部にいた古い世代の学者たちは普遍的証明より自分たちが信仰した学説を保持することに精力を注ぎました。いわゆる魔女狩りです。ガリレイ地動説の一件なんか特に有名ですね。では、いつから学会は天動説から地動説に移行したのかというと、熱い熱弁でも鋭い論破でもなく、ほんと身も蓋もないのですが…上層部の古い世代の学者たちが寿命など全員亡くなって、ニューウェーブの地動説を支持する若者の科学者たちが学会の政権を取った瞬間でした。

 つまり、パラダイムシフトとは「世代交代」です。どんなに優れた学説でも、その瞬間に大転換するのではなく、50年~100年に渡った結果論としてパラダイムはシフトしないのです。

 ただし、逆に言えば「世の中を変えたい」と思う少数派の人は一回の選挙に頼るのではなく、何十年も掛けて仲間と主張を集め続けていけば、いつか必ずパラダイムシフトを起こせるということです。つまり、世の中が変わるかどうかっていうのは、今の若者たちと次に続く世代がこれからどういう選択をするか、どういう「学派」を作っていくか、で決まっていくわけです。

 直近20年はまだ大丈夫かもしれませんが、AIによるパラダイムシフトは組織の管理権を与えた瞬間に起こると個人的に思うので、人類の世代交代に比べてあっという間でしょう。

 2030年頃には「汎用人工知能(汎用AI)」の開発に目途が立つらしく、自動運転のリニアモーターカーが東京-名古屋間を開通するのも2027年頃を予定されています(東京-大阪間は2045年予定)。開通延期案の噂もありますが、やはり2040年代に何かしらのパラダイムシフトが起こるのかもしれません。

 経済学者の井上氏いわく、問題なのはAIに仕事を奪われる側面だけじゃなく、AIを使う側と使われる側の格差という人間同士の問題が発生するとのこと。実際AIは脅威なのかどうかは未来のことなので正直分からないですが、AIが経済システムの構造にどんな影響をもたらすのか、それによって経済成長や雇用にどんな影響をこうむるのかという側面が気になる。様々な議論を集約していくと、AIはやはり格差社会の引き金になるのではないかと言います。

 2019年に話題になったのが、世界の資産家トップ26人の合計資産額が、世界人口の半分に相当する貧しい人々、約38億人の合計資産額と同じくらいだという報告書を国際NGO「オックスファム」が発表しました。その筆頭がアマゾン元CEOのジェフ・ベゾス。金持ちがより金持ちになるならまだマシですが、IT発達に伴って「増加する失職者」「減少する雇用数」による新貧民の奪い合いが懸念されます。GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)の言動が度々ニュースとなっていますが、技術革新が采配を振る現代社会、より顕著となるでしょう。

 その一方、瀧本氏の講義内で、残酷な社会に参加する上で若者たちに取得してもらいたいのが「ディベート」。日本語で「討論」、いわば「交渉術の基本」を学んでほしいと言います。

 ここで関西の某大学で実際に起こった討論会を例題に出します。一緒に考えてみましょう!

≪今まで、土日、祝祭日も含めて24時間利用できるようになっていた学生会館が、大学側の方針変更で平日の午後8時までしか使えなくなってしまいました。サークル活動や自習にも影響が出るので、みんなが困っています。あなたなら、どうしますか?≫

 学生会館というのは、学生にとって課外活動の拠点で、大学の全建造物のなかでも唯一「学生」の付く建物です。学生自治の象徴であるはずの「学生会館」が、上層部の都合で利用時間が決められるのは由々しき事態でございます。しかし、最近は大学も管理が厳しくなっているので、他の大学でも同じ事態になると思います。あなたは反対側の討論に立つ学生です。あなたなら、いったいどうしますか?(制限時間は1分)

 もちろん、上層部の意向に沿って「泣き寝入りして受け入れる」のも一つの選択肢ですし、ヤバい組織に所属している卒業生に相談して、その手のヤバい人たちに働いてもらうのも一つの手段です(後々揉めると思うのでオススメしませんが…)。

 はい。ここで参加者から出た回答をいくつか聞いてみましょう。

①「権威を有効に使うという方針で、すごく偉い先生にお願いして、その人の発言力でなんとかしていただくというのが、一つかなと思います」

②「24時間開けっ放しだったのが午後8時に閉まるということは、鍵を開け閉めするのに管理費が余計にかかるので、そこをアピールして交渉するかなと思います」

 これらに対して、瀧本氏のアドバイスは……。

[①について]相手側より権威を有効に使うことは、相手側のメンツをつぶす危険があり、良い結果になる可能性は低いです。さらに偉い先生が怒って職員のクビなんか切ったら、もう最悪です。残念ながら上から圧力をかけるというのは、あまり良い方法とは言えません。

[②について]良い感じですね。少し付け加えるなら、大前提として、大学側も学生とは合意を結びたいと思ってるはずです。もし学生が反対運動とか始めてキャンパス中で騒いだら、大学当局も困るわけです。だから学生側の要望もある程度は聞いてくれるはずなので、何らかの形で交渉し、合意を結び、みんなが納得する落としどころを見つけることを、僕なら考えます。

 それらを踏まえ、ここから瀧本氏はどう交渉していくか。

 まず、なぜ相手側が午後8時に突然閉鎖することを決めたのか、その理由をまず調べてみる。「そういう事情で閉鎖するなら、こうすれば閉鎖しなくても済むのではないか?」、「閉鎖することでそういうメリットが生じるかもしれませんけど、こんな予想もしなかったデメリットが発生しますよ。本当にそれでも閉鎖するのですか?」、といったように相手に考えてもらう提案を持ちかけます。そうすることで「僕たちが可哀そうだから閉鎖しないで」じゃなく「午後8時で閉鎖すると大学の皆さんもお困りになりますよ」という話をして、「それだったら、やっぱり閉鎖を見直すか」という方向に話を持っていけることが理想的です。

 つまり交渉するときには、ただ一方的に自分たちの不幸や立場をアピールしたり、キレて暴れたりしても、相手がお人好しでない限り合意してくれない。それより、いかに相手側の利害に沿った提案ができるかを考えないといけない。「僕が可哀そうだからこうしろ」より「あなたが得をするからこうすべき」。これが交渉の超基本になります。

 基本的に交渉では、相手側の利害関係とこちら側の利害関係はかなり違う。それをしっかり分析することで、双方が合意できる解決策を見つけだすことができるのです。

 そんな交渉術の基礎を少し学んだワケですが、私にとって心配なのは技術革新したAIが、これほどの交渉術を人間に対して仕掛けてきたら、人間はどう対策すればいいのでしょう…。

 もしも、大学側がAIを使って、AIが以下のような妥協案を持ち掛けたとします。

「学生の君たちが午後8時に閉まるのは困ると感じているのは分かりました。それでは2時間遅らせて、午後10時に閉めることにしましょう」

 これはどうでしょうか。「やったー! 2時間ゲット! 我々の願いは叶った」と思ったのなら、ある意味では幸せですが、冷静に考えたら「2時間しか譲ってもらってない」となるはず。

 AIからのこの提案に対して、どう対応するか。再び1分ほどお考えください。

 何か良い対策案は出ましたか?

 はい。この場合の回答は『2020年6月30日~~』の93ページにて、ご確認ください。

 いやホント怒らないで……こっちもタダじゃないから……じゃあ、ここまで読んでくれた人たちにだけ特別ヒント。

 この交渉戦で重要になるのは、向こうが「アンカリング」を仕掛けてきたこと。「アンカリング」とは、たとえそれがどんな法外なものであっても、「人は金額なり条件なり枠組みなりを相手から先に掲示されると、そこを基準に考えてしまう」という心理学用語です。だから、8時から10時って提案されたときに「大学側のAIがかなり譲ってくれた」と感じるのは、向こうの作戦に見事引っかかっているということになります。

 交渉担当のAIからしたら、学生がその条件に乗ってくれれば「元通り24時間にしてくれ」という争点がなくなるので、大学も「本当に助かった…!」というワケです。でも、そうなると学生たちの活動はどうなるのでしょう。以前と同じ困った状態に変わりありません。だから本来ならそこで合意せず、さらに交渉を進めていかないとならないわけですが、弱者である学生の方が適切な武器を持っていないと、二の舞を踏むのは目に見えています。これこそ瀧本氏が力説する「武器としての交渉思考」なのです。

 さて、ヒントはここまで。この続きは本書の93ページまで。

 あ、一応言っておきますが、大学側にいる交渉AIは私のアレンジで本書には出てきません。


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