あらすじ
1945年、夏。広島に暮らしていた散髪屋の鈴木六郎さん一家の、何気なくも愛おしい家族写真集です。
写真が好きだった六郎さんは子どもの誕生から写真を撮り続けていました。
この写真集には素朴で、何処にでもいそうな愛らしい子供たちの姿があふれています。
しかし、この一家のすべては8月6日に奪われてしまいました。
原爆に関する悲劇はこの写真集には写っていません。
なぜなら、写真を撮った六郎さんは原爆のせいで死んでしまったから。写真に写っていた子供たちも、家族がいなくなり絶望したお母さんも死んでしまったから。
その悲劇を伝えるのは文章だけ。暖かい日常が一瞬で壊れる悲劇を切り取った、あまりに悲しい絵本です。
原爆後の悲劇、ではなく原爆が投下される前の日常を見せることで、より戦争の残酷さが際立つ絵本です。目をそむけたくなるような写真がない分、子どもにも読みやすいかと思います。とはいえ、決して生易しい感想を持てる本ではありません。おそらくこの本は大人の方が読後の絶望感が強いのではないでしょうか。
次に読む本
子どもにとっての日常が戦争によって変えられてしまったのはどこの国も同じでした。次に読む本には『あのころはフリードリヒがいた』をお勧めします。
『あのころはフリードリヒがいた』
『あのころはフリードリヒがいた』はドイツでユダヤ人迫害が日に日に加速していく様を克明に書き出した児童小説です。
この本の主人公はドイツ人。そして友達のフリードリヒはユダヤ人でした。
家族ぐるみで仲よくしていた友達の状況がどんどん変化し、主人公一家もまた変わらざるを得なくなってくる。
最も恐ろしいのは、主人公がいつの間にかユダヤ人迫害の暴動に絡み取られていくことです。
仲良しだったはずの友達をいつのまにか加害してしまう主人公の心の叫びが聞こえてくるようです。
『ヒロシマ 消えたかぞく』では、子ども達の日常がいきなり断ち切られる悲劇を見せられました。一方『あのころはフリードリヒがいた』では子ども達の日常がじわじわと侵されていく恐怖が書かれています。ここに書かれている子どもたちの姿は、現代の子どもたちと何も違わないように見えます。
悲劇は繰り返してはならない。
どちらも読むには大変重い本ですが、戦争を意識する夏の日に、祈るような気持ちで読んでみてください。子ども達の日常が大きな力で奪われることが二度とないように…
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