あらすじ
明治末の北海道札幌で幼少期から少女時代を過ごした著者の自伝的小説。書物が好きで文学に秀でているが気持ちはまだ幼く、朴訥と自然を愛する普通の少女が主人公。だが周囲は彼女に色めき立つ視線を浴びせてくる。女であることを自覚させ、結婚を意識させようと躍起になる周囲に反発し、少女の心は絶えず囚われない生き方を模索する。
本が好きで勉強ができても女学生への評価はそこにはない。器量が良いこともあり、本人にその気がなくとも異性の注目を浴びてしまう。初恋すらまだである彼女に許婚を宛がい、うまく片づかせることだけを望みとする家族や親族。
女性の生き方が決めつけられていた時代の典型である。書物と自然、それらがすべての関心事である少女には、周囲の見当違いな自分への関心は、ただただウザいだけである。
加えて彼女は気づいている。周囲の強要の先には女性にとっての幸せなど存在していないことを。現実のセオリーに則り生きている周りの女性たちが、どこかビクつきながら生活していることを。学びが彼女に鋭い観察力を与えているのかもしれない。
物語は少女時代のみで終わるが運命に屈する気などさらさらなさそうなのが頼もしい。数々の苦難はあろうが絶対に乗り越えられる女性に成長していく予感を与えてくれる。そして図らずもそれは開拓者の一人であるものの信念のようにも感じる。
次に読む本
Blue(川野芽生)
真砂(まさご)は「女の子」として生きる道を選んだ高校生。演劇部所属。アンデルセンの『人魚姫』を翻案したオリジナル脚本『姫と人魚姫』を上演時には人魚姫役を獲得。月日が流れバラバラの大学に進学した元演劇部員たちは久しぶりに地元で落ち合い、母校を訪ねることになる。そこに現れた真砂は、高校生の頃のような姿ではなく、「女の子」でいることができなくなっていた。
『姫と人魚姫』は人魚が王子に恋をする話ではない。行く末が他国の王子との結婚しかない王女(姫)への恋のような憐みのような気持ちを抱いた人魚が気持ちを突き動かされ人間となり、王女のもとへ向かう設定となっている。高校生の頃の真砂は自分を「女の子」であると証明したかったからこの人魚姫を切に演じたいと思った。薬を飲めば人間になれて姫のもとへ駆けつけられると信じた人魚のように。
自身の生き方を見つけたかのように過ごせた高校時代とは状況が変わり、経済的な理由も含め希望だった性別適合手術を受けることが難しくなってしまった真砂。社会情勢の煽りで二次性徴抑制治療も受けられなくなり、身体的な変化が日に日に顕著になってくる。さらには守りたいと思う同級生の出現。心身共に男性に戻ることを強要されているように感じ絶望的な感覚で大学生活を送っている。
伸し掛かる現実に飲み込まれ仕方ないと虚ろに受容し、女性ではなくなり(と思い込み)かといって男性であることも受け入れかねている姿はキマイラだと自虐する真砂。この状態で誰かを守れるわけもないのに同級生への謎の使命を果たそうとする姿はまさしく人魚姫。王女のために自ら犠牲を払う結末となるこの悲劇を、現実世界でまで再演してほしくはない。
犠牲はむなしく終結するが真砂は結局、気づいただろうか。守りたい想いがただの依存であったことに。
おススメポイント
今も昔もこうあるべきという外圧が存在する。性別で求められる要素もしかり。しかし少数派と自覚した者が多数派の生き方の型に自ら嵌ってみてもさらに幸せから遠のいてしまう。生き方の迎合の果てにはさらなる犠牲しか存在しないことを、両著書から訴えかけられているような気がする。
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