あらすじ
人種や性別や性的指向による差別はどんどん「時代遅れ」となり、誰もが自分らしく生きられるように時代は変わってきている…はずでした。
本書は、世界をよくしようとする「社会正義(ソーシャルジャスティス)」の運動が、炎上やキャンセルカルチャーに至った事例を詳述します。
よかれと思ってやったのに、「副反応」を招いた経験は誰しもあるでしょう。
昨日の正解が今日の不適切になるような時代。ユートピアを目指して進んできたはずの現代が生んだディストピア的側面を把握することで、私たち個人はどう振る舞うのがベストかを考えさせる一冊となっています。
次に読む本
成田悠輔『22世紀の民主主義』
「『若者よ選挙に行こう』といった広告キャンペーンに巻き込まれている時点で、老人たちの手のひらの上でファイティングポーズを取らされているだけ」(p.7)。こんな書き出しで本書はスタートします。
成田さんは初の著書となる本書で、「選挙に行くのは正しい」「政治家は人間でないと務まらない」との前提に対し、「本当にそうだろうか?」と問題提起を繰り出します。
なお「高齢者は集団自決」発言で炎上した成田さんですが、この発言は第2章に掲載されています。炎上事件とは異なる文脈で、です。
著者の成田さんによる、現行の選挙制度や現行の民主主義の「異常箇所」の指摘は考えさせられるものがあります。現行の選挙制度や現行の民主主義ですが、現代とは人口比率も通信環境も異なる100年以上前のアナログ社会を想定した仕組みから、アップデートしきれていないのではないかとの疑念を抱かざるを得ません。そして成田さんが紹介する、諸外国ですでに実現しているアップデートの事例を読み進めるうちに、今後の日本の選挙制度や民主主義のアップデート案や未来予想図が脳裏に浮かんでは消えてゆきます。
おススメポイント
「地獄への道は善意で舗装されている」実例を紹介している点で、両書は架橋されています。
不当な差別や人権侵害から弱者を解放するのは、至極真っ当なことでしょう。しかし、それがかえって多数派から「一部の過激な◯◯」と見なされると、支持を失ってゆきます。結果的に、弱者をより窮地に立たせる「副反応」を招来します。
同様に、選挙や民主主義を重視するのも真っ当なことでしょう。しかし、今とは異世界ともいえる時代の前提を色濃く残す「現行の選挙制度」や「現行の民主主義」を、さも模範解答であるかのように見做しすぎると、結果的に何も変わらないでしょう。「選挙に行った。でも結局何も変わらなかった」と”学習”する人は日に日に増え続け、彼らの棄権により投票率はますます低下の一途を辿る──。そんな「副反応」が進行中なのかもしれません。
これまで真剣に社会問題を考えてきた人ほど、両書を読むことで不快な気分になるかもしれません。しかし、「たしかに著者の主張は好きにはなれない。しかし、私の意見もそんなに瑕疵が無いのだろうか。方向性は間違っていないにしても、本当に『副反応』のない意見だと言い切れるだろうか。『副反応』があるとすれば、どんなものがあり、どうすれば回避できるか」と自問自答するためのネタが、幾つも散りばめられています。
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