「小公女」(フランシス・ホジソン・バーネット 土屋京子) の次に読む本

あらすじ

舞台は19世紀のイギリス。主人公のセーラは当時のイギリス領だったインドで資産家の父親とともに暮らしていましたが、7歳の時、父の故郷であるロンドンの寄宿学校へ入学することになりました。しかし、10歳の時、父が亡くなり、父が携わっていた事業も破綻してしまいます。寄宿学校の院長は、それまでセーラの父親から多額の寄付金と学費をもらっていましたが、それらが回収できなくなったことにより、セーラの持ち物をすべて差し押さえた上で、屋根裏部屋で暮らすことを彼女に命じます。豊かな暮らしから一転、貧しい生活を強いられたセーラは、不幸な境遇の中でも、優しさと気高さを失わずに生きていくのでした。

アメリカの小説家バーネットにより発表された児童文学のひとつです。日本では「小公女セーラ」の名でテレビアニメ化もされました。「赤毛のアン」とともに「少女小説のバイブル」として幅広い世代に読み継がれている作品です。

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「小公女」はテレビアニメで見たことがあるくらいで、原作をきちんと読んだことがありませんでした。この度、原作を読んでみて、その内容の凄まじさに驚きました。子供向けに書かれた作品なのに、描かれる内容が大人向けのドラマのように凄絶なのです。実際、お金持ちのお嬢さんがいきなり貧乏な生活を強いられたうえにいじめられるという展開は、子供にはいささか刺激が強すぎるのではないかと思われました。

「たとえ貧しくても誇りを失ってはいけない」と主人公のセーラは考えているわけですが、彼女と同じことをしなさいと言われたら、自分にはできる自信はありません。しかし、一方で、そこには、現代の我々が失った大切な何かが描かれていると思いました。

「たとえ貧しくても誇りを失ってはいけない」という考えは、「どんな状況に置かれても自分らしくありなさい」という風に置き換えることもできます。

作品そのものは古いですが、セーラの生き方はどんなに時代が変わろうとも人々の心に響くと思いました。

次に読む本

「赤毛のアン」(ルーシー・モード・モンゴメリ 村岡花子)

舞台は19世紀末のカナダ・プリンスエドワード島。マシュウとマリラの老兄妹は孤児院から男の子を引き取ることになっていましたが、手違いにより女の子を引き取ることになりました。少女の名はアン。顔中のそばかすよりも赤い髪を馬鹿にされることを何よりも嫌がる女の子です。そのうえ、想像力がとても豊かでとてもおしゃべりで、放っておくといつまでも想像に耽って喋り続けるようなところがありました。アンのことを最初は嫌がっていたマシュウとマリラも、彼女の魅力に次第に惹かれ、彼女のことを愛するようになります。アンはカナダの大自然と周囲の人々の愛に育まれ、気高い乙女へと成長していくのでした。

作者のモンゴメリが、「手違いで女の子を貰い受けた老兄妹」の新聞記事から着想を得て描いた作品です。カナダのみならず世界中の言語に翻訳され、愛され続けている作品です。「少女小説のバイブル」と言っても良い作品だと思います。

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アンは想像力が豊かでとてもおしゃべりな女の子です。正直、一緒にいると疲れてしまうタイプの女の子ですが、そうなってしまったのには悲しい背景があります。彼女は熱病で両親を亡くして以来、天涯孤独な身の上となり、寂しさを埋めるために想像力を身に着けたのでした。そして、その想像力こそが生きるうえでの原動力となったのです。彼女の言動を見ていると、笑わせられたり、ひやひやさせられたりしますが、何となく許せてしまうところがあります。創作によって生み出されたあらゆるキャラクターの中で最も魅力的な人物と言えるのではないでしょうか。世界中で愛される理由が分かりました。

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「赤毛のアン」と「小公女」は、ともに19世紀を舞台とした作品であり、「少女小説」の金字塔として幅広い世代に読み継がれています。


この当時に書かれた少女小説には、「不幸な立場に置かれたけれど、気高く生きている」というような、典型的なヒロイン像があります。


「赤毛のアン」のアンも、「小公女」のセーラも、親を亡くして天涯孤独の身になりましたが、それでも自分を見失わずに、たくましく生きていくのです。


それができたのは、彼女たちにたくましい想像力があったからです。


想像力は孤独を忘れさせてくれたばかりでなく、生きる力をも与えてくれたのです。


二人のヒロインを見ていると、自分を見失わないで生きていくことがどんなに大切かを思い知らされます。

この先、100年、200年と読み継がれるべき作品だと思いました。


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