あらすじ
この本の主人公は「二宮」
しかし、二宮は主人公でありながら主人公ではない。この本を読み終えた人ならこの文章の意味が分かります。
二宮のクラスメイトに「なっ!?このエネルギーは・・・!?」と叫んで教室を飛びだす生徒(神宮寺)がいます。しかし、二宮以外のクラスメイト・先生は何事も無かったのかのように授業を進めて行く。
しかも神宮寺は血だらけになって帰ってきても他のクラスメイトたちは気にすることが無い。さらに神宮寺は翌日には完璧に治った状態で登校してくる。
二宮は気づいていた「どうやら、フィクションの世界に俺は入ってしまったようだ」と・・・
しかも途中から「ヒロインっぽい」生徒が転校したきたではないか・・・
自分のいる世界がフィクションの世界だと分かっている二宮の「的確なツッコミ」が面白くて笑えます。芸人さんのコントを見るような気楽な気持ちで読むとより楽しめます。
次に読む本(その1)
「同じクラスに何かの主人公がいる」は全てを分かっている神の視点を持っている主人公(二宮)を読者が神の視点で見るという文字で見ると混乱しそうな世界観はめったにない一冊だと思います。そんな「めったにない世界観」を書くことが出来る昆布山葵さんが専門学校時代に体験しているゲームが書かれている「お金持ちになるゲーム」という本。この2冊を読むことで昆布山葵さんに興味を抱く人は多くいると思います。昆布山葵さんの作品で調べると出てくるタイトルがクセがありすぎて面白いですよ。
お金持ちになるゲーム(昆布山葵)
あらすじ
この本は作者である昆布山葵さんが専門学校時代に実際に授業であった「お金持ちになるゲーム」が題材になっています。
あるルールに沿ってグループ対抗のゲームをします。最終的にお金持ちになっているグループの優勝です。一人の天才が勇躍するのですが、この人物まで実在していたらその人に対して「恐怖」すら覚えます。
個人的には昆布山葵さんがこの本に出てくる誰だったのかが非常に気になりました。もし、圧倒的な能力を誇った天才だったとしたら・・・。今後の作品にも注目です。
次に読む本(その2)
「同じクラスに何かの主人公がいる」は物語を客観視できる主人公(二宮)をさらに読者が客観的に見ているという状況になります。物語をすごく遠くから見ているような感覚になります。対照的に「最後のトリック」では最後の最後で読者が犯人になります。物語を客観しするどころか「犯人」にさせられるというその対比を味わってほしいです。
最後のトリック(深水黎一郎)
あらすじ
売れない作家(香坂)の元にある手紙が届いた。
そこには「読者が犯人になる」というミステリー界最後の不可能トリックを思い付いたというもの。
にわかには信じがたいが「興味を引かれる」のは間違いない。しかも、手紙の差出人は「命と引き換えにしても惜しくない」というほどのものだと言っている・・・
この本を閉じたあなた(読者)は「自分が犯人だ」と思うこと間違いなし
たまたま本屋で見つけた一冊なんですが、読み終わったあと「犯人は自分だ」と思いました。「殺人犯の気分を味わってみませんか」と帯にありますが、言い過ぎではありません。「読者全員が犯人」になれる小説でした。
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